2012年04月15日
長崎旅行 坂本龍馬めぐり
元々歴史は苦手で、
特に日本の近代史は、全く頭に入ってきません。
坂本龍馬は、とても人気があり、
最近特に注目を受けている人物ですが、
イマイチ、どういう人かわかっていません。
この長崎は、どうも龍馬とゆかりがあるようです。

風頭公園の銅像です。

ここは日本で初めての『商社』という
説明書きがありました。

一部は写真撮影OKの記念館です。
説明も受けましたが、さっぱり頭に入ってきません。

これはどうも客寄せのようです。

坂が多く、心が折れている中、
ここでお参りと休憩を。若宮稲荷神社です。

石垣の坂道がいい思い出です。

市街地に出ると、龍馬通りがありました。
うまく観光にも力を入れてます。
坂本龍馬について、もう少し勉強しておきます。
特に日本の近代史は、全く頭に入ってきません。
坂本龍馬は、とても人気があり、
最近特に注目を受けている人物ですが、
イマイチ、どういう人かわかっていません。
この長崎は、どうも龍馬とゆかりがあるようです。
風頭公園の銅像です。
ここは日本で初めての『商社』という
説明書きがありました。
一部は写真撮影OKの記念館です。
説明も受けましたが、さっぱり頭に入ってきません。
これはどうも客寄せのようです。
坂が多く、心が折れている中、
ここでお参りと休憩を。若宮稲荷神社です。
石垣の坂道がいい思い出です。
市街地に出ると、龍馬通りがありました。
うまく観光にも力を入れてます。
坂本龍馬について、もう少し勉強しておきます。
2012年04月15日
長崎旅行 平和探究
日本で2回目の実戦で原爆投下を受けた場所です。
広島と比べると、やや印象が薄い気がしますが、
ここもどうしても見てみたいところの一つでした。


1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分に投下されました。
約14万9千人が死没したそうです。
この目印の上空 503mで爆弾がさく裂したそうです。

曇り空でしたが、この空と周囲が一瞬にして、
地獄に変わったのが信じられません。



平日でしたが、外国人の観光客もかなり多かったです。
みんな、熱心に説明を聴き写真をとっていました。
原子爆弾が投下されたのは、世界中で日本だけですから、
世界に向けて発信すべき情報は無数にあると思います。
原爆投下の理由は、
報復だったり、戦争の早期終結の他、実験としての意図もあったようです。
長崎の地形上、広島よりも被害は軽微と言われていますが、
広島と同じくらいの被害者数が出ています。
投下された爆弾の威力は広島型を大きく超えていたらしく、
何れにしても、最悪の兵器としか言いようがありません。

この周辺には、原爆に関する施設が密集しています。
とても感慨深いです。

浦上天主堂
原爆により大方破壊されたそうですが、
一部の形状は残っていたそうです。
そのまま解体せず保存していれば、
広島の原爆ドームと同じ遺産として存在していたかもしれません。

放射能による後遺症や医学的知見を
地元の大学病院で研究されているのも特出すべき内容でしょう。
第二次世界大戦前の日本は、
確かに野蛮で、世界に対し殺戮を繰り返していたのですが、
それを正す事象としては、その代償はあまりにも大きいと感じます。
今の政治もそうですが、
トップに立つ人間は、
本当にそれに適した人材でないと。
いつも不幸になるのは、末端の国民ですから。
広島と比べると、やや印象が薄い気がしますが、
ここもどうしても見てみたいところの一つでした。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分に投下されました。
約14万9千人が死没したそうです。
この目印の上空 503mで爆弾がさく裂したそうです。
曇り空でしたが、この空と周囲が一瞬にして、
地獄に変わったのが信じられません。
平日でしたが、外国人の観光客もかなり多かったです。
みんな、熱心に説明を聴き写真をとっていました。
原子爆弾が投下されたのは、世界中で日本だけですから、
世界に向けて発信すべき情報は無数にあると思います。
原爆投下の理由は、
報復だったり、戦争の早期終結の他、実験としての意図もあったようです。
長崎の地形上、広島よりも被害は軽微と言われていますが、
広島と同じくらいの被害者数が出ています。
投下された爆弾の威力は広島型を大きく超えていたらしく、
何れにしても、最悪の兵器としか言いようがありません。
この周辺には、原爆に関する施設が密集しています。
とても感慨深いです。
浦上天主堂
原爆により大方破壊されたそうですが、
一部の形状は残っていたそうです。
そのまま解体せず保存していれば、
広島の原爆ドームと同じ遺産として存在していたかもしれません。
放射能による後遺症や医学的知見を
地元の大学病院で研究されているのも特出すべき内容でしょう。
第二次世界大戦前の日本は、
確かに野蛮で、世界に対し殺戮を繰り返していたのですが、
それを正す事象としては、その代償はあまりにも大きいと感じます。
今の政治もそうですが、
トップに立つ人間は、
本当にそれに適した人材でないと。
いつも不幸になるのは、末端の国民ですから。
2012年04月15日
長崎旅行 島原地区
1991年(平成3年)6月3日の火砕流が最も大規模で、
被害も最大でした。
当時、テレビでしか見てなく、遠い場所での出来事でもあったため、
極めて他人事のように受け止めていました。
折角の機会にと思い立ち寄りました。
事前に警報や避難もされていたので、
被害は、まぁ、最小限に抑えられたというべきでしょう。
実際に被害に遭われたのは、取材・報道陣や学者さん、
パトロール中の方々のようです。
百聞は一見に如かずとはこのことで、
その地区を訪れて愕然としました。

島原地区はこのようなところです。

今の雲仙岳です。



実際のところ、ここまでの噴火にはならないと思っていたのでしょう。
そのために、防げたはずの人的被害も、防げなかったのでしょう。


海に近い民家も土石流や火砕流で埋まってしまっています。
現在は、このような被災家屋が保存され、
歴史として受け継がれています。

こちらは、旧大野木場小学校の校舎です。
雲仙岳近くの学校ですが、廃墟となっており、
同じように保存されています。
隣接して「大野木場砂防みらい館」があります。




少し悲しくなりますが、この小学校からの景色です。
何と素晴らしい風景でしょう!
こういう環境で学生時代を過ごせないというのが、残念に思います。

今の普賢岳の山頂写真です。
平成新山といわれ火山活動は、現在も観察されています。

島原駅前には、島原城が見えます。


土石流などの被害に遭った地区は、
新しい道、新しい家・建物と復興が進んでいるようですが、
他の地区と同様、過疎化、高齢化、不景気も重なり、
元の状態には戻って無く、遅い復興となっているようです。
被害のなかった地区は、
昔からの産業が残っていて、いい味が出ています。
やっぱり、自分の目で見て感じるのが、
一番の勉強になります。
被害も最大でした。
当時、テレビでしか見てなく、遠い場所での出来事でもあったため、
極めて他人事のように受け止めていました。
折角の機会にと思い立ち寄りました。
事前に警報や避難もされていたので、
被害は、まぁ、最小限に抑えられたというべきでしょう。
実際に被害に遭われたのは、取材・報道陣や学者さん、
パトロール中の方々のようです。
百聞は一見に如かずとはこのことで、
その地区を訪れて愕然としました。
島原地区はこのようなところです。
今の雲仙岳です。
実際のところ、ここまでの噴火にはならないと思っていたのでしょう。
そのために、防げたはずの人的被害も、防げなかったのでしょう。
海に近い民家も土石流や火砕流で埋まってしまっています。
現在は、このような被災家屋が保存され、
歴史として受け継がれています。
こちらは、旧大野木場小学校の校舎です。
雲仙岳近くの学校ですが、廃墟となっており、
同じように保存されています。
隣接して「大野木場砂防みらい館」があります。
少し悲しくなりますが、この小学校からの景色です。
何と素晴らしい風景でしょう!
こういう環境で学生時代を過ごせないというのが、残念に思います。
今の普賢岳の山頂写真です。
平成新山といわれ火山活動は、現在も観察されています。
島原駅前には、島原城が見えます。
土石流などの被害に遭った地区は、
新しい道、新しい家・建物と復興が進んでいるようですが、
他の地区と同様、過疎化、高齢化、不景気も重なり、
元の状態には戻って無く、遅い復興となっているようです。
被害のなかった地区は、
昔からの産業が残っていて、いい味が出ています。
やっぱり、自分の目で見て感じるのが、
一番の勉強になります。