長崎旅行 島原地区
1991年(平成3年)6月3日の火砕流が最も大規模で、
被害も最大でした。
当時、テレビでしか見てなく、遠い場所での出来事でもあったため、
極めて他人事のように受け止めていました。
折角の機会にと思い立ち寄りました。
事前に警報や避難もされていたので、
被害は、まぁ、最小限に抑えられたというべきでしょう。
実際に被害に遭われたのは、取材・報道陣や学者さん、
パトロール中の方々のようです。
百聞は一見に如かずとはこのことで、
その地区を訪れて愕然としました。
島原地区はこのようなところです。
今の雲仙岳です。
実際のところ、ここまでの噴火にはならないと思っていたのでしょう。
そのために、防げたはずの人的被害も、防げなかったのでしょう。
海に近い民家も土石流や火砕流で埋まってしまっています。
現在は、このような被災家屋が保存され、
歴史として受け継がれています。
こちらは、旧大野木場小学校の校舎です。
雲仙岳近くの学校ですが、廃墟となっており、
同じように保存されています。
隣接して「大野木場砂防みらい館」があります。
少し悲しくなりますが、この小学校からの景色です。
何と素晴らしい風景でしょう!
こういう環境で学生時代を過ごせないというのが、残念に思います。
今の普賢岳の山頂写真です。
平成新山といわれ火山活動は、現在も観察されています。
島原駅前には、島原城が見えます。
土石流などの被害に遭った地区は、
新しい道、新しい家・建物と復興が進んでいるようですが、
他の地区と同様、過疎化、高齢化、不景気も重なり、
元の状態には戻って無く、遅い復興となっているようです。
被害のなかった地区は、
昔からの産業が残っていて、いい味が出ています。
やっぱり、自分の目で見て感じるのが、
一番の勉強になります。
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