長崎旅行 島原地区

conquest

2012年04月15日 16:19

1991年(平成3年)6月3日の火砕流が最も大規模で、
被害も最大でした。

当時、テレビでしか見てなく、遠い場所での出来事でもあったため、
極めて他人事のように受け止めていました。

折角の機会にと思い立ち寄りました。

事前に警報や避難もされていたので、
被害は、まぁ、最小限に抑えられたというべきでしょう。

実際に被害に遭われたのは、取材・報道陣や学者さん、
パトロール中の方々のようです。


百聞は一見に如かずとはこのことで、
その地区を訪れて愕然としました。



島原地区はこのようなところです。





今の雲仙岳です。






実際のところ、ここまでの噴火にはならないと思っていたのでしょう。
そのために、防げたはずの人的被害も、防げなかったのでしょう。





海に近い民家も土石流や火砕流で埋まってしまっています。

現在は、このような被災家屋が保存され、
歴史として受け継がれています。




こちらは、旧大野木場小学校の校舎です。
雲仙岳近くの学校ですが、廃墟となっており、
同じように保存されています。

隣接して「大野木場砂防みらい館」があります。









少し悲しくなりますが、この小学校からの景色です。
何と素晴らしい風景でしょう!
こういう環境で学生時代を過ごせないというのが、残念に思います。




今の普賢岳の山頂写真です。
平成新山といわれ火山活動は、現在も観察されています。




島原駅前には、島原城が見えます。





土石流などの被害に遭った地区は、
新しい道、新しい家・建物と復興が進んでいるようですが、
他の地区と同様、過疎化、高齢化、不景気も重なり、
元の状態には戻って無く、遅い復興となっているようです。

被害のなかった地区は、
昔からの産業が残っていて、いい味が出ています。

やっぱり、自分の目で見て感じるのが、
一番の勉強になります。




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